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- 横山(中世)とは
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横山(中世) 戦国期に見える地名筑前国早良【さわら】郡のうち背振山東門寺の寺領の証文等を引いた長享3年1月22日の東門寺文書紛失状案によると,同寺領は,平安期大蔵種房が「筑前国早良郡之内横山」の地を開発寄進したことにより成立し,戦国期には,横山63町として,上宮堂社および講行祭礼灯油等の免田が定められていたことが見え(修学院文書/佐賀県史料集成5),当地一帯が背振山東門寺領となっていたことがわかる年未詳9月10日の東門寺衆徒申状によると,この横山63町は,永享9年石釜・曲淵が人給として召し上げられ,その残りも半済とされ,さらに他寺に寄進された結果,寺には11町5反を残すのみとなり,東門寺衆徒は寺領の還補を大内氏に申し出ている(同前)また年未詳7月21日の少弐政資書状によれば,亀尾城を攻め,城主森戸修理亮らを討ち捕らえた政資は,「早良横山」に至り,杠日向守に対し協力を申し入れている(杠文書/佐賀県史料集成17)さらに天文20年5月10日,「背振山東門寺領横山三十六町之内円覚坊領中山村之内北田下より弐段地」の領有が,東門寺により与四郎に許されている(太宰管内志)「続風土記」によると,江戸期には椎原【しいば】・板屋・小笠木・西・脇山・内野・石釜・曲淵の脇山郷8か村を横山とも称していたとし,「八村皆山の横につらなれり」と記されている現在その遺称地は見られないが,早良区脇山の大門に横山神社が残っている早良区内野・西・石釜・曲淵・脇山・小笠木・椎原・板屋等を含む一帯の地名だと考えられる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横山(中世) 南北朝期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横山(中世) 戦国期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横山(中世) 鎌倉期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横山(中世) 南北朝期から見える地名水内【みのち】郡のうち正平7年正月日の武田文元軍忠状に「同(八月)十日於善光寺横山,凶徒等寄来之間,抽戦功訖」と見え,足利尊氏方の武田文元が足利直義方の軍勢と当地で対戦している(古文書/大日料6‐15)至徳4年8月27日には村上頼国らが信濃守護代二宮氏泰を善光寺横山城に改め,市河頼房は氏泰に属してこれと戦い敗れている(市河文書/信史7)また,長享3年3月上澣の性海和尚行実によると,前山城三聖寺・東福寺・天竜寺・南禅寺住持で,応永3年3月21日死去した山城常在光院住持霊見は,本貫が「信州横山県」であった(信史7)江戸期は三輪村横山組となり,現在の長野市三輪6丁目付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横山(中世) 鎌倉期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横山(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横山(中世) 南北朝期にみえる地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横山(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
横山(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」